それは思考の選択 / 映画の瞬き - ウォルター・マーチ

映画の瞬き[新装版] 映像編集という仕事

映画の瞬き[新装版] 映像編集という仕事

アカデミー編集賞を1度、録音賞を2度受賞するなど映画編集者として名高いウォルター・マーチの著書『映画の瞬き』を読みました。名高いと書きつつも僕がウォルター・マーチを初めて知ったのは『オズの魔法使い』の続編である『Return to Oz』の監督としてで、しかもその映画自体は未見という体たらくでした。構成としては前半では映画編集においての技術的かつ哲学的な考察を、そして後半からはデジタル編集が映画にもたらす功罪を中心的に論じています。

前半部で特に印象的だったのがタイトルでもある著者の考える「映画の瞬き」についてです。ワンシーンワンカットの取捨選択がまさに作品自体の心臓を取り去ろうとしているのか、それともへその緒を切り取ろうとしているのか判断しなければいけない編集という仕事において、並列する非連続な空間世界をどうすれば観客に流れるように違和感なく受け入れられるかということを「瞬き」を例にあげて著者は説明しています。日常生活の中での「瞬き」は思考の分離・区別であると推測し、映画においてはひとつのショットがひとつの思考に、そしてその思考を分離、区別させるのがカットであり「映画の瞬き」であるとして、天文学的な数のショットの組み合わせの中から最善の選択をするのが「思考の芸術」である映画の編集であるというくだりは個人的になるほどなあと納得しました。映画鑑賞時に時折、僕が感じていた説明できない気持ち悪さは、作り手が思い描いたビジョンと編集の間に隔たれた深い溝による、伝えたい思考の不一致が原因なのかもしれない…と読み終わったあとに考えたりしました。

次第にデジタル編集に移り変わる映画業界において、かたくなにそれを拒む人もいるということをこの本では理由つきで紹介しています。スピルバーグなどは近い将来使用する目的でムビオラ(20年代の編集機器!)をスペア部品付きで何台も購入し、それを扱える技師もしっかりと確保しているなど徹底しているらしいです。僕のイメージとしてデジタル編集を好まない映画監督というのは、昔ながらのモノを使ったほうがいい映画ができるんじゃい!という根拠もクソもない願掛けみたいなもので続けているのかなと思っていたのですが、最大の利点である編集用のフィルムを用意しない低コスト化によって何バージョンも作れるという覚悟の甘さや計画不足がデジタル編集にはあるという指摘にはうならされました。

デジタル編集の究極の進化はたったひとりの人間がたったひとりで製作可能な思考の完全映像化だと最後に述べられています。映画が共同作業によって形成される「思考の芸術」と表しているのを考えると、明確には言及されていませんがデジタル編集の進化に関しては思考がより単一的なものになっていく傾向に、著者自身は複雑な思いがあるのだろうなというのが感じ取れました。

映画製作に携わったことのない全くの門外漢な僕でも『映画の瞬き』は大変面白く読み進められました。編集という創作作業に対する印象も大きく変わった気がします。おすすめです。


■参考文献
2011-11-22 - 空中キャンプ
オズ/ドロシー、病名:統合失調症 | 映画感想 * FRAGILE