黒豆:栗きんとん=3:7 / 雑文集 - 村上春樹

村上春樹 雑文集

村上春樹 雑文集

村上春樹のエッセイは好きだ。特に映画について語るエッセイが好きで、『村上朝日堂』シリーズでちょこっと映画のエッセイが出てくると、村上春樹独特の肩に力が入っていない映画評を読む度に、ほっこりした気持ちになっていた…気がする。恥ずかしながら、気がするというくらい後に残らない読書体験だったわけで、「あなたにとってそんな程度の好きさ加減なの?あきれちゃうわ」と言われれば、こちらも「…やれやれ」としか言いようがない。やれやれ。

閑話休題

そんなぼんやりした読書体験の記憶があり、この『雑文集』を手に取ったときは、また村上春樹の映画評が読めればいいなと思っていた。少なくとも、1篇くらいそんな類のエッセイがあるだろうと期待しながら読み進めていった。音楽、洋書、安西水丸、ふんふんいつも通りの雰囲気だなあと読み終わったところで気づいた。映画についてのエッセイが…ない。

閑話休題

序文で著者が"「福袋」を開けるみたいな感じでこの本を読んでいただければ"と語っている通り、村上春樹自身がセレクトした未発表作品、文章が雑多な感じで収録されている。例えば結婚式のメッセージから外国人向けに書かれた地下鉄サリン事件の考察など、なんだ黒豆かと思うようなエッセイもあれば、これは栗きんとん!と得した気分になるほど読み応えのあるエッセイもあり、まさに「福袋」もしくは「おせち」的内容になっている。とはいえ、読み終えた直後の印象では比率で表すと「黒豆:栗きんとん=3:7』くらいで、僕が好き好んで読むような肩の力が抜けきったエッセイは若干少なめな感じではあった。ちなみに僕は黒豆も栗きんとんも好きだ。

個人的にグッと来たエッセイは先程少しだけ述べた、外国人向けに地下鉄サリン事件と彼の作品である『アンダーグラウンド』について書いてくれと、著者が依頼され書き下ろした『東京の地下のブラック・ジャック』だ。著者によると時間を掛けて念入りに書いた文章だが、依頼者の望んでいたものとはコンセプトが違ったらしくあえなくボツ、お蔵入りになったらしい。

誤解を恐れずにいえば、あらゆる宗教は基本的成り立ちにおいて物語であり、フィクションである。そして多くの局面において物語はーーーいわばホワイトマジックとしてーーー他には類を見ない強い治癒力を発揮する。それは我々が優れた小説を読むときにしばしば体験していることでもある。
(『東京の地下のブラック・ジャック』より引用)

フィクションが持つ素晴らしさを説きつつも、システム化したフィクションとその虚構を現実として受け止めてしまうことの恐ろしさを説く『東京の地下のブラック・ジャック』は傑作だと思う。スピーチ『壁と卵』でシステムのメタファーとして壁を用いる以前に、著者がこのような意思表示をしていたことを考えるとなかなか感慨深い。物語なんて俺の人生になくても生きて行けるぜ!本?ビジネス書とか自己啓発以外の本なんて金のムダムダ!と常日頃から感じている人には是非とも、このエッセイだけでもご一読を強くお勧めしたい。

ついでにほっこりポイントとしては、本書に初収録されたエルサレム賞・受賞の際のスピーチ『壁と卵』のコメントがおすすめです。スピーチ発表前はビデオで何回も『真昼の決闘』を観たと書かれており、その村上春樹なりに自分を追い込んだ生真面目さにほっこりしてしまった。



■参考文献
村上春樹『村上春樹 雑文集』 - 「石版!」