なあ父ちゃん、銃くれよ / ルーパー

初日に長野グランドシネマで鑑賞しました。おもしろかった…というよりも、僕の好きな映画ですと言ったほうが正解かもしれません。2074年、ナノテクノロジーが発達した未来の世界では殺人行為を犯すと即座にバレてしまうため、闇組織は殺したい人間をタイムマシンで過去に送り込んで暗殺していた。未来から送り込まれる人間を処刑する役割を負った者達は"ルーパー"と呼ばれ、後々送り込まれる未来の自分を自分自身の手で殺し、人生のループを閉じるまで報酬の銀塊と引き換えに殺し続ける。そんなルーパーの1人であるジョー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)の元へ、未来の自分であるオールド・ジョー(ブルース・ウィルス)が送り込まれたが不意を突かれて逃げられてしまう。たとえ未来の自分自身であろうと標的を逃してしまったルーパーは処刑される掟になっているため、組織から狙われる身になりながらも自分の仕事を全うするためにジョーはオールド・ジョーを追う。8歳の頃の自分が現れ、アラフォーのかろうじて髪の毛がある現在の自分(ブルース・ウィルス)に対して「思うてたんと違うッ!!」と叫ぶ『キッド』なんつう映画もありましたが、今回はブルース・ウィルスの方から出向いてくれます。

率直な感想は「大友克洋meets村上春樹」というところでしょうか。どこか懐かしさが残る近未来感や、TKと呼ばれる超能力者が出てくるそれは大友作品のそれと全くおんなじです。パンフを読むと町山智浩さんの解説では「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を監督のライアン・ジョンソンは参考にしたと語っているように、序盤の自嘲気味な主人公の心情吐露は「やれやれ」感を感じさせるし、町山さんも指摘していましたが後半部の静動分かれた物語がひとつに収束していく様は「世界の終わりと〜」そのものです。

どこか既視感のある近未来、気の利いた小道具、強弱をつけつつ流れていく気持ちのいいストーリー展開など僕が映画を観るときに重要視している「この世界にずっといたい」欲望が絶えず湧き出る作品でした。

以下ネタバレあり。



物語上、終始つきまとうジョーとオールド・ジョーの人生の経路が違う同一人物の不思議な違和感は既にDINERで飯を食う場面で表現されていたのでは?と感じています。食うものこそステーキとスクランブルで同じメニューですが、ジョーはいつもコーヒーにミルク?クリーム?を入れているのに対し、オールド・ジョーは迷わずブラックを注文していました。同一人物だけど実は人生経験の異なった自分という別人であるということで生じる違和感が、ラストシークエンスで「自分に銃を向け引き金を引いた」という大きなタイムパラドックスを成立させるための布石ではないかと。

そしてぼんやりとですが、不意な父殺しというものがこの映画のテーマでもあるんじゃないかと思っていたりします。ヤクザな組織の元締めエイブがジョーに銃を与えたことによってジョーの人生は始まったわけで、いわばエイブはジョーの親と言えます。それに対し、若いジョー自身も一度は殺した方がいいと思ったシドを生かそうと決めたことによって、彼もまた実の父親が不在であるシドの親になったといえるでしょう。シドが銃を欲しがっていることをジョーに示す場面は、ジョーの人生が銃から始まったという前フリがあったため、なおさらその印象を強くさせました。ジョーはエイブを未来の自分であるオールド・ジョーが殺してしまったことで不意に父を殺してしまったということになるでしょうし、シドもまた自らの可能性の1つであるレインメーカーという悪の代償として、ジョーの命を奪いました。オールド・ジョーがエイブら組織に殴りこみをかけるときに使われていた銃はP90で、メタルギア・ソリッド2のソリダス・スネークの愛銃だったりして、ああ、あの話も雷電がソリダスという親を超えるストーリーだったなと繋がらないであろうリンクを勝手に脳内ではってました。親から子へと生と死の輪が回り続けているループは止まらないし、止められないーーータイムトラベルという飛び道具を使ってそんなことを表しているんじゃないかと思ってみたりみなかったりしてました。